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2018-11-16 放送大学ロケ収録(KDDI DIGITAL GATE, WebDINO)

今日(2018-11-16)は放送大学のロケ収録でした。1件目はKDDI株式会社のDIGITAL GATEという施設でIoT/WoTについてお話しいただきました。2件目は一般社団法人WebDINO Japanさんのところで、Web技術の動向、ブラウザの歴史やCHIRIMENプロジェクトなど非常に多岐にわたる貴重なお話を聞くことができました。

 

2017/02/03 大プ会でお話

神戸に出張の用務があったので,情報処理学会関西支部の研究会である,大阪プログラミング・情報教育研究会(通称 大プ会)で発表してきました.GOSEICHOシリーズの開発の理由などを話してみたのですが,内輪的な話も多分にあるので,公開できる部分だけslideshareで公開しました.

 

2016-11-12 プログラミング関係講演

富山大学で,”産官学「プログラミング教育」大合唱の今,心に留めておくべき大切なこと”というタイトルで1時間講演してきました.

・教育情報化政策の変遷と,プログラミング教育政策の現状
・2009年 スマートフォンの到来
・2010〜2014年 教育情報化とデジタル教科書の失敗
・2016年 産官学「プログラミング教育」大合唱の今
・2020〜2022年を見据えて
・心に留めておくべき大切なこと

最後の5分お話した「心に留めておくべき大切なこと」部分だけ,Slideshareに公開しました.

私にとってはプログラミングというのは当たり前のこと過ぎて,それが教育関係者も含めその言葉が大合唱(というか狂騒に近い?)になっていることに,様々な理由により違和感を感じてしまっています.毎度の「GOSEICHO」,「GODOUCHO」「GOTEICHO」「GOKEICHO」なのですが,とても大切なことを端的に表現していると考えています.

 

2016/11/27-2016/12/01 タイ出張

タイに出張で行ってきました.

前回のタイ出張では,ちょうど大規模なデモの最中で,王宮近くの革命広場に連れて行ってもらった記憶があります.今回は,国王が死去して日も浅い中での出張となりました.弔問の列は途切れる事はありませんでした.また日常の生活を窺い知るに至り,国民の国王に対する尊敬の念を肌で感じる事ができました.

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仕事の合間の空き時間にピクトグラムの収集も出来ました.例えば非常口一つにしても,日本と違い,様々なデザインの非常口マークが存在しています.また,炎と関連づけて非常口がデザインされているものが多いのが印象でした.日本だと,火災だけではなく地震も考えられるのですが,地震が少ないのか,非常時イコールとは火災という認識が強いのかもしれません.

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2015/08/29 「大学を体験しよう」

放送大学石垣グルグン塾主催の「大学を体験しよう」という取り組みで八重山高校にて高校生対象に模擬授業をする機会を頂きました.石垣は(放送大学以外の)大学がないこともあり,大学(生)に対するイメージを抱きづらいという現状があります.放送大学(The Open University of Japan)ということもあり,テーマを「オープン」に設定し,オープンソースハードウェア,オープンデータ,オープンコンテンツを中心に放送大学のTV講座で私が実際に使ったスライドも使い説明しました.今期だけでもあと数回,様々な専門領域の先生方が講義されるそうです.多くの先生と対話して何か感じてくれればと思っています.放送大学のように場所や時間の制約なく学べる環境がより整備され普及していくことの重要性を再認識しました.

日本デジタル教科書学会 理事退任

2012年5月に拝命した日本デジタル教科書学会の理事を,2015年8月の理事会をもって,任期満了に伴い,退任しました.

2012年に開催された日本デジタル教科書学会 設立記念全国大会 では実行委員長を担当しました.この時は,教育系学会ではほぼ当然となっている協賛ブースを一切設けないことを重要視しました.「デジタル教科書」という,単語の概念すら定まっていない状態で,企業ブースを乱立させることには非常に問題があると感じていたからです. 偶然にも,青山学院大学の新棟である17号館の使用料が期間限定で無料だったことがあり,企業ブースは一切無しの方向で開催しました.

今の「デジタル教科書」を限られた字数で端的に述べると

ではないかと考えています.公教育や検定教科書のルールの中に限定してデジタルを考えていても,それは教科のデジタル化には寄与しますが,教育内容自体や教育効果の視点からのデジタル化の恩恵には必ずしも寄与しません.また,教育系の学会を運営する際の既存の定型的方法を採用しないことが大切であると考えています.

2010年ぐらいから考えていることですが,自分は「デジタル教科書」という言葉が触媒として機能しうるのは2014年頃までと予想していました.2014,5年ぐらいまでにはには,(こども向け)「プログラミング教育」という新たな触媒が生まれるだろうと予想し,その際再考を余儀なくされるだろうと.ここで触媒というのは,教育になんらかしら変革を起こしうるキーワードとなるものです.

学会名を改名した方が良いのではと考えた時期はありましたが,今は,このままでも良いのではないかと思うようになっています.

これまで培ってきた「日本デジタル教科書学会」のコミュニティーを大切にしていくことは重要だと考えています.また学会のアクティビティが一般的な解釈での「デジタル教科書」とあまり関係ないことも重要なメッセージになっていると考えます(よい意味で).最近反転○○というのが流行っています.「反転学会」というと事前に発表動画や発表資料を提示し,当日は質疑応答,ディスカッションだけと言うのをイメージされると思いますが,違う意味での反転学会のようなものがいくつかあってもよいのではと思うからです.

3年間の関わりの中で,一番感銘を受けたのは招待講演でもなく,2014年度の全国大会でポスター発表していたTravel Buddyというプロジェクトの話でした.これはぬいぐるみを「ぬいぐるみ留学生」として海外の提携校と交換し,様々な方法で時にはe-mail等を使って生徒らが交流するというお話でした.私はブースにおいてあったぬいぐるみを指して,これは「素晴らしいデジタル教科書」ですね.と言ったやりとりの記憶が今でも残っています.

 

 

 

 

 

 

2012/03/02-2012/03/04 DEIM2015参加

磐梯熱海で行なわれたDEIM(Data Engineering and Information Management) 2015に参加してきました.

2015年3月までIPSJDBSの運営委員を拝命していた関係で,DBS関係の方も少なからず仕事してきました.学生をココで発表させたかったのですが,在期中には実現できなかったのが心残りです.

久しぶりにDEIMは全日参加でした.2セッションほどコメンテータをまかされた事もあり,色々と質問しました.久しぶりに純粋な情報科学/工学のコミュニティの発表を多く聴講しましたが,気がかりな点がいくつかありました.

「(A向け)B教育」に関する一考

「(A向け)B教育」が急に重要であると社会のあちこちで謳われるようになったとします.

はじめに「A向け」について考えてみます.「A向け」というと,普通は for A と考えますが,to be A-ish for allと考える事もできます.例えば子ども向けと言われると,私は大人だから当事者では無いと考えがちですが,not A が失ってしまった何かをA-ishのごとく振る舞ってみることで取り戻したり,Aに関わることで得られる何かが必ずあるのでしょう.Aの語義によっては文化間,地域間,世代間交流を促進する効果も考えられるでしょう,その行く先はA と not Aの境界線がなくなって結果(A向け)とわざわざ謳う必要がなくなるのでしょう.

またA,Bの組み合わせによっては,わざわざ「A向け」と銘打つ必要なく単に「B教育」でよいではないかという意見がでることがあります.これも少し慎重になるとよいと思います.属性に制約を課すことで,創られる環境,そしてその環境下でしか発生し得ないアウトプットというのもあります.例えば女の子向けと銘打ったワークショップでは,なるほど女の子限定だからこのような作品が生まれるのだろうと感心することがあります.語彙によっては,A-ishになりえても,Aにはなることができない場合もあります.to be A-ish for all の考え方をすると,目に見える形でA-ishが創造する世界観を万人が認識できないと,それは結果Bの解釈を個々人がいたづらに狭めてしまう事になります.

一つ目と二つ目に述べている事は矛盾するのではなく,定常状態が存在せず両状態を繰り返し遷移しながら変化していくのです,さらにその状態自体も曖昧で明確な境界線がある訳ではありません.あたかも粒子と量子のような表裏一体の関係なのです.

次に「B」です.Bと聞いて想起するBは,自身がこれまでに蓄積された経験や知識に基づいて定義付けされます.その言葉が急に謳われるようになったということは,一般的解釈が急に変容する可能性があることとです,そういう時期にこそ,自らが考えているBの解釈は常に,自分の経験や知識の範疇を超えないということを意識し,あえて意識的に関連性を模索しながらBを拡大解釈していくことが大切だと考えます.思いもよらなかった事象が,Bと本質的には同じというのはよくある事です.特に商業主義が先行するとBの解釈が恣意的になりますので,以前からBという言葉を使っていたコミュニティーの言質は特に重視するのがよいと思います.

そのような一般認識がなさるような社会が根底に構築されれば,「(A向け)B」が既存の「教育」を幾ばくか良い方向に変えていく触媒になるのだろうと考えます,そうでなければ,進むべきではない固定観念に収斂されてしまう事象が繰り返されて,その結果「教育」という言葉自体に対する信頼がますます損なわれるのでしょう.

「教育」は,だれしも実は身近な問題であり,議論に参加しやすい単語です.
SNSの普及により道聴塗説しやすい環境になっています.情報が増幅されやすい社会であるからこそ言葉の解釈には常に留意していきたいものです.

自戒をこめて.